dgeghdeeのブログ

dgeghdee blog

とヒステリックな声の

ばあちゃん家(わたし宅)での2人。
兄Yは、野球盤ゲームか、プラレール(電車と線路の玩具)で遊びたい、と弟Kに提案。
弟Kは、どっちも「嫌だ」と言う。
「なぜ嫌なのか」と問う兄Y。
「遊びたくないから」と弟K。


「なぜ遊びたくないのか?」と、つっこむ兄Y。
「なぜ、遊びたくないのに遊ばせようとするのか?理由は?」と弟K。
「遊びたいからだ、遊びたくない理由は何だ?」と引き下がらない兄Y。
「ボクが遊びたくないのに、なぜ遊ばないといけないのか?」と弟K。
「ボクが遊びたいからだ。なぜ、遊ばない?」と兄Y。
「遊びたくないからだと言っているやろ、何回、聞くの?」とヒステリックな声の弟K。
「ボクが遊びたいのに、なぜ遊びたくない?」と兄Y。
「ボクが嫌だと言っているのに、なぜ遊びたいの?」と弟K。


「1人では遊べないからだ」と兄Y。
お、雲行きが変わった。兄Y、不利。負けを認めた?
「だからって、なんで遊びたくないボクが遊ばないとあかんの」と弟Kは負けてない。


兄は弟を何かで釣るしかないか?
交換条件などを提示したり、とか。
が、兄Yは、黙ってしまった。


兄Yが認めて諦めたのかと思いきや、2人に同量ずつ、半分に分けて出していたオヤツ(バターサブレ)の弟の分をむんずと掴み、
「遊ばなかったら、Kのオヤツは無し。ボクが全部食べる」と強硬姿勢に出た。
「なんでボクの分を食べるん」と泣き声の弟K。
Yは、口まで持っていきパクリと口を開け、口の前でピタリと手を止めた。
食べる寸前、食べる真似をした。
Yは「KはTVを観たら絶対ダメやからな」と捨て台詞を残し、録画の観られる隣の部屋に移った。


野球盤もプラレールも、うち(おばあちゃんち)でしか出来ないから、兄Yはその遊びにこだわった。
だが、相手がいないと出来ないのは、明らかに不利だ。
弟Kに参加してもらえないと遊べない。
弟Kは、強みがある。
北風政策には乗らない。
2人のやり取りが面白かったので、後で母親(わたしの娘)に経緯を説明すると、
「兄Yはそんな(悪い)ことは、出来ない性格やわ」とのコメント。
なるほど。良い子なのね。


この2人。
社会の縮図のようで観察するのには中々興味深い。
なだめたり、すかしたり、おどしたり、、、
自分がしたいように進めるには、あの手この手が必要だ。
自己欲求、欲望の渦に溺れ、、、ることなく、、、
いまのところは、やりたいことは「オモチャ遊び」だから可愛い。

思いは強くないよ

この趣味の先輩Aさんは、わたしより少し年上と思われ、環境も普通なので意識も革新的でもなんでもなく、昔風なんだろう。
ずっぽり昭和の人。
だから、わたしが彼の「居場所作り」アドバイスに違和感を覚えたのだろう、と、今初めて理解した。
居場所作りにおいて、わたしは彼の何十年も先輩になる抖音商城
何を今更感がある。
とは言え、仕事をしない選択肢もわたしにはあった。
ということは、わたしは昔の価値観、ライフスタイルを採択したため、何十年も前に趣味を一通りかじることが出来たのだろう。
(しかしながら、仕事をしていても、趣味や仕事を離れた世界の中から選択して楽しんでいる人はいた)
余裕が無い人もいた。
仕事と趣味。難しい選択。
仕事が趣味、なんていう人もいる。


リタイアした男性の皆さん、多かれ少なかれ、その後の自分の人生と向き合うことになる。
女性もリタイア後は人生に向かうのだろうけれど、「女性は家庭」という古い時代も半分生きていたので、男性ほど、リタイヤと共に、無職の素の自分に向き合わなくてはならない切羽詰まった思いは強くないように思う。
温度差は人それぞれかも知れないが增強免疫力補充品



さて、夫源病。ふげんびょう。
最近の病気らしい。
西洋の地で青い目の奥さんと夫婦になって、一度も離婚したことがない日本男性。
この男性なら奥さんは夫源病にはならないだろう。稀有。
日本在住で、日本人夫と日本人妻でも離婚は増加している。
夫が家に居ると、妻が病気になるなんて、凄くないか?
言葉や行動で感じたことを示すのではなく、身体、体調、発病で示す。
学校に行く時間になると発熱する学生さんみたいなものか。


趣味仲間の老後男性たちも、「オトコは家に居てもなあ、、、」とおっしゃる。
後半の「、、、」の行間を読む。
じーっとして微動だに動かないでTVなどを見ていると、「掃除の一つもしたら?」と、妻の視線に無言のメッセージを感じるのだろう。
「ごはん、まだあ?」などと言おうものなら鬼の形相(だろう)。
お腹が空いても、ご飯の時間が過ぎていても、じっと待つ漂白牙齒
そんな感じを想像する。
だから、居場所が必要なのだ。
地域にも根を下ろしてこなかった、仕事一筋の生活から脱却しないと、居場所がない。
家に居場所を作るにも、ルームシェア的な、妥協の産物のような居場所であり、心安らげるものかどうか。


だが、まだまだ展開はある。
どちらかが弱って病気になって、介護が必要になる時が来る。
助け合わなければならない。
その時には、感謝される。
が、介護される側になると、それまでの家庭内労働チャージ、労務預金がないと、イジワルされる可能性がないとも言えない。
江戸の仇を長崎で打たれる。
趣味の居場所作りばかりに明け暮れていては、やがて来る将来も見据えないと泣きを見る。
元気なうちに、出来ることをする。
出来ることは、やりたいことばかりではない。
すべきこともしておかなければ、後悔が残る時が来ないとも限らない。


家の中に居場所がないからと外ばかりに目を向けず、家庭にはある程度の居場所も作っておくべきだ。
それには意識と努力が必要だ。
趣味の先輩Aさんも、外の居場所作りのアドバイスも結構だが、ご自分の足元も見つめ直すのも今後の展開には重要だ。
だが、わたしは、他人の家庭に土足でズカズカ踏み込むようなデリカシーのない無神経なことをする気はない。
押し付けがましい自分流考えや意見も言いたくない。
なので、静かに微笑んでいる。

も不安も不満もなか

生活感もなければ、生きている熱さもなければ、退廃的でも悲観的でも悲壮でもない、、、
社会に出たとは言え、社会には全く出ていなかった。


今も社会に出ていないような実感がある。
きっと一生このまま、社会には出ない、病室療養か、自宅軟禁か、施設収容か、そんな感覚がある。
だが、閉じ込められている部屋の鍵はない香港移民加拿大
あるとすれば、住宅警備システムのロックと解除。
自分で開けたり閉めたりする。
外出、外泊自由なのに、快晴でも一歩も外に出ない日もある。
別にこころを病んでいるわけではない。
自分の城なんだろう。
頑丈な城を長い時間かけて築いた。
(期間限定で時々、お城食堂に、ちびっ子とその親達が無料食事をしにやってくる)


わたしは遠くに行っても、ちゃっかり元に戻ってくる。
別に誰が待っているわけでもない日本簽證
なんの束縛もない。
自分で勝手に戻って来る。
お掃除ロボットのルンバみたいに、お掃除が済んだらチャージ器に乗っかる。


時を戻そう。
高校卒業時の春のバイト。
一人だけ浮いているのに、いじめられても何の不思議もないのに、なんの摩擦もトラブルも不安も不満もなかった。
これは、何なんだろう。
これに共通するものがあるように思う生腎石
天然自己装置??


幼稚園から高校卒業まで、わたしは1日たりとも雨の日も風の日も休まず学校に通った。
わたしの子供たちもそう。
質はともかく、身体とこころが丈夫なんだろう。
「健康は健全なこころから」かと、宇宙人らしからぬ当たり前のことを思う。