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動に移さない方向に流れ

行っても行かなくても、してもしなくてもよいことは、必要性やモチベーションがないと、やる気を起こせない。
一緒に行こうと誘われていても、強く圧されず半ばわたしの自主性に任せるカタチだと、ずるずる行動に移さない方向に流れてしまう脫毛 機
えいやっと決断する(スイッチをオンにする)瞬発力が必要だ。
慣性の法則、以前のままでいたい、動きたくない、と、エネルギーを出すのを惜しむ、易きに流れる傾向にある。
ひたすら、動きたくない、強力なアンチパワー。
そのくせ、何もしないままで長時間過ごすと後味の悪い後悔が押し寄せる。
めんどくさいけど、えいやっと行動に移すキッカケを自分で作り上げなければ、何も動かない。


冬は、こたつに、ミカン商務禮品
そういう過ごし方はよくわかる。
こたつから出にくい。エネルギーもさることながら、ぬくぬくが気持ちよく、寒いのは嫌、、、となる。
が、わたしは布団系のものは使用していない。
床暖房に食卓と椅子。あとは、ドリップコーヒー。
よっこらしょと座位から頑張らなくても、高めの位置の椅子だからすっと立てるので障害物もなく、動くのに、エネルギーは要らない。
にもかかわらず、、、
何?この、めんどくさがりようは?


わたしの自己分析によると、、、
「オフ」である。
オンとオフがあり、今はオフなのだ。
季節の問題もあるが、今は何も動きがない。
①精神的②行事的③義務的④ビジネスがらみ⑤身に降りかかる偶然的事項、、などなど。
オフを続けすぎると、急にオンのスイッチを入れても動かなかったり、トラブルが生じたり、円滑に行かない。
昨年後半はその皺寄せがどっときて、かなり慌てた。
なので、適度にオンとオフを混ぜて行動しないと、スタンバイ維持にはそれなりの微弱であるものの力が必要。


と、入力しながら、とりあえず、今日のお出かけはやめた。
なぜか、夫がちょっと(30分?)出かけた。不思議な微妙なバランス眼袋槍
さて、明日はどうなる?
朝が早いから、今日から気力をスタンバイすることになるだろうから、たぶん、行かない。
なあああんだ。


とかなんとか、冬籠を楽しんでいる。


と同時に、最後まで全く中身のない本日のブログ記事を読んでいただいた方には申し訳ない気持ち。
傾聴お疲れ様でした。

理解できないのは自然の成

映画「Dr.コトー診療所」を観た。
とても楽しみにしているというブログ記事(ブログ村エッセイ)を読んで、わたしも観てみたいとは思っていた。
映画は、観る人の置かれた位置や環境、状態、感性によって、感じ方はそれぞれ異なる。
感想とは、そういうものなので、真剣に観ている人にとっては、けしからん!と思われる可能性がある奶粉 敏感
書かなければよい、読まなければよい、という話になるが、そうなると、何も書けない、何も読めない。



さて、本題へ。
TVドラマの続きらしいが、わたしはドラマは全く観ていなかった。
2003年からの長い間に培われたファンの想いはあるだろう。
2003.2004.2006とTV放映され16年後に再復帰。
当時の子役がそのまま(一旦、俳優を廃業しているにもかかわらず)特別に出演している。


美しい離島の自然に心洗われたBB無便便
涙はたっぷり。いっぱい溢れ出たのだが、、、。
どうも、作り込み過ぎの部分を感じる。
不自然なストーリー展開がある。
(※前編シリーズをいっさい観ていないし、内容を全然知らないから理解できないのは自然の成り行きだと感じる)
大筋の、訴えたいことは、よくわかるのだが。


離島に大学から研修?で来た、大病院の息子にキンプリ(アイドルグループ)の目がぱっちり大きい男性(高橋海人)が演じていた。
演技力、○(丸=good)。
堺雅人は、ちょっと演技を作り過ぎか?
なぜあんなに力む?
もう少し自然に演じられないのか?
監督希望が、ああいうキャラ設定?
(※前作からのあらすじからすると、ああいう演技になるようだ)


オペのシーンはやたら長くて、なんだか演出っぽく、かえってリアリティが無くて、苦笑した。
やたら長けば良いというものではない雪櫃哪個牌子好
が、一生懸命、熱意、気合い、集中力、入魂ぶりを表現したかったんだろう。
(※前作からの流れからすると、ああなると推測できる)


他には、ほんのちょっとだけわずかに顔を出す有名俳優がいて、友情出演かしら?と思ったり。
(撮影時間はほんの短時間に思える。俳優個人として忙しくて撮影時間が取れないのかなと。
あるいは、今回作品トータル時間から配した時間配分バランス?
※これまた前作からすると、あれで十分のようだ)
久しぶりに見る懐かしい顔ぶれの俳優さんたちに、皆んな歳を取ったなあと感慨深い。
(※前作からすると、あの時間の経過も作品の味を重厚にしている効果があると推測)


美しい大自然に対して、はらはらと涙が流れたが、
他は何だか、これでもか!これで伝わらないはずがないよね!というぐらい、作り手側の意図が見えて見えて、そこまで表現しなくてもわかりますって、、、と尻込みしたくなるシーンが多かった。
さりげなくカメラを回す方法ではない。
圧苦しく感じた。
(※何度も何度も追加注釈を加えるのはヘキヘキだが、なんといっても一回もこの話、観たことも読んだこともない、予備知識ゼロ状態で初めて観るのだから、仕方ない)


自然の風景だけでも、十分満足した。
あとのガチャガチャしたものは、付録。
お祭り騒ぎ的な賑やかなのはメリハリとしても。(※総合最終回だから出演者全員が登場するのは、避けられない。
ミュージカルや演劇でも最後はキャスト全員が舞台に一堂に上がる)
僻地医療の抱える問題点は、よくよくわかる。
さらっと、キンプリイケメンがセリフで言っていた。
「これが現状、限界なんですよ」と。

仏事なら非常に助かる

夫の実家とはまた話は変わり、
わたしの実家は「実家の実家=①」から「実家=②」に仏壇を移動した。
魂を抜いたり入れたり、仏さんたちは忙しかっただろうけど、坊さんは儲かり、我々は忙しかった。(忙しかったのは、正確にはわたしではなく、姉と姪)
「実家の実家」は、入れ物、器だけとなった投資英國樓
お墓は「実家の実家」近くにある。
仏壇の引越しで、仏事が実家で執り行なえるようになって、とても便利だ。
不便なのはお坊さんのみ。
10キロの道のりは、スクーターで移動?(よく見かける光景)
「実家の実家」の隣りに住むオバ(父の妹)は、多分もう仏事には出席しないだろう。
ではあるが、姻戚関係者は、実家での仏事なら非常に助かる。(駅近で利便性のある地)
そういう意味もあって、仏壇を移したのだが。
自治会も以前に脱会した(らしい)。
誰も住んでないから、当たり前なのだが。
仏壇だけ自治会に入っているのは、いと、おもしろきかな。


色鮮やかな彼岸花が咲いている。
お彼岸、、、複雑な心境である人民币国际化
ご先祖様の魂はいずこに?
入れ物(仏壇)、あっちへ行ったり、こっちへ来たり。
どこに行けばいい?と、父(故人)はウロウロしているかも。
でも、父は「実家の実家」も実家(父が作った)も両方、住処だから。
どっちにも行けて良いのでは。


どこに行こうが、故人はわたしたちのこころの中。
お墓や仏壇を持たず、仏事をしないのが良いのか良くないのかは、わからないけれど。
少子高齢化も一段と進み、国力も衰える。
日本人も精神的な芯、支えのようなものが必要か企業獎勵
かと言って、かえって、こころを蝕むような変な宗教に惑わされてほしくない。


仏事、もうしなくていいのでは?
あの世とこの世、お坊さんを間に挟まなくても、個々にコネクトすればいい。
そう言いつつ、こころの奥底に根付いた信仰の核のようなものは在るかも知れない。
自分を護ってくれるご先祖様の加護みたいなものが無意識に作り上げられているようにも思う。