dgeghdeeのブログ

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も不安も不満もなか

生活感もなければ、生きている熱さもなければ、退廃的でも悲観的でも悲壮でもない、、、
社会に出たとは言え、社会には全く出ていなかった。


今も社会に出ていないような実感がある。
きっと一生このまま、社会には出ない、病室療養か、自宅軟禁か、施設収容か、そんな感覚がある。
だが、閉じ込められている部屋の鍵はない香港移民加拿大
あるとすれば、住宅警備システムのロックと解除。
自分で開けたり閉めたりする。
外出、外泊自由なのに、快晴でも一歩も外に出ない日もある。
別にこころを病んでいるわけではない。
自分の城なんだろう。
頑丈な城を長い時間かけて築いた。
(期間限定で時々、お城食堂に、ちびっ子とその親達が無料食事をしにやってくる)


わたしは遠くに行っても、ちゃっかり元に戻ってくる。
別に誰が待っているわけでもない日本簽證
なんの束縛もない。
自分で勝手に戻って来る。
お掃除ロボットのルンバみたいに、お掃除が済んだらチャージ器に乗っかる。


時を戻そう。
高校卒業時の春のバイト。
一人だけ浮いているのに、いじめられても何の不思議もないのに、なんの摩擦もトラブルも不安も不満もなかった。
これは、何なんだろう。
これに共通するものがあるように思う生腎石
天然自己装置??


幼稚園から高校卒業まで、わたしは1日たりとも雨の日も風の日も休まず学校に通った。
わたしの子供たちもそう。
質はともかく、身体とこころが丈夫なんだろう。
「健康は健全なこころから」かと、宇宙人らしからぬ当たり前のことを思う。

を伸ばして大皿の端っこ

不思議なのは、孫たちが揚げているところを見たがることだ。
「油が跳ねて危ないから近寄らないで」と何度言っても近寄って来る。
「離れて!」とキツく言うと、わざわざ食堂から椅子を運び込み、それに乗って遠巻きに見学している。
なんで見たいのか、よくわからないが、見たいのだろう企業禮品
2歳女児が近寄ってくると、もうお手上げ。
全力で怖い顔をして遠ざける。
すでに作っておいた、お惣菜を大皿に盛り付けて流し台横の調理台に置いていたら、彼女は背伸びをして手を伸ばして大皿の端っこを掴もうとする。
「ああ〜、だめだめ、だめよ〜」と、大皿を2歳児の手の届かない炊飯器の上に不安定ながら置き替える。
蓋がカーブしている炊飯器の上なんかに置いて、ひっくり返したらどうする気?わたし。
で、また違う置き場所をお皿を持ったまま、うろうろ探す。
料理どころではない。


と、唐揚げ屋さんをしていたせいで、一個たりとも食べる気がせず人民币国际化
おかげで、翌朝はまあなんと体重減少だこと。
当然の結果なのだが、少し嬉しかった自分もどうだか。


唐揚げは、キッチンがべとべとになるし、食器棚や中に入っている食器までべとべとする。
そのせいもあり、娘一家は自宅では揚げ物はせず、揚げ物はいつもうち(親宅、実家)。
とほほ、、、ではあるが、「おばあちゃんちの揚げ物」と、ほんの少しでも記憶に残ればいいかなあと。


ちなみに、長女は、育った実家(親元、うち)では、いつも夏はソウメン、冬はおでん、だったので、うんざりして大嫌いだそうだ。
おでんは、時間がかかるのに、ケシカラン。
それで長女宅では、ソーメンやおでんが全然食卓に上がらないせいで、うちでは大人気。
しかしながら、そんなに長女にソーメンとおでんを嫌いにさせたとは、、、かと言って、わたしは別に反省はしていない。


まだ田舎に住んでいた、わたしが小学生にもなるかならないかの幼い頃、お腹が空いたわたしたち姉妹は、姉の提案で、バターに砂糖を振りかけて、こっそりオヤツとして食べていた。
ちょっと塩が効いたバターが砂糖の甘さと口の中で混ざって溶けて、とても美味しかった。
これは、お菓子、スイーツの原点かも。
というより、原材料そのもの。手を加えられていない。


わたしがもう少し大きくなって中学生ぐらいだった頃、母に食事メニューについて不満を言ったところ、
「望みすぎ。ええかげんにしとき」とたしなめられた。
なるほどと、すんなり納得した。
2歳上の姉が皆んなの不満をカバーするかのごとく、美味しい手作りミートソースのスパゲッティだの、ブラウンルーから手作りしたビーフシチューだのを作ってくれて、とても感動もので喜んで食べた。
父は父で、近所の昔ながらの洋食屋さんからビーフカツレツやビーフカツカレーを時折り出前注文してくれて、それはそれはプロの味を堪能でき、泣くほど(大袈裟)感激した。
成長期でもあったせいで、それらはとびきり美味に感じた。


長女に、「おかあさんの『母の思い出の料理、味』は何?」と問われ、うーーん、としばし考え込んだ。
母の失敗作や嫌いなメニューは即座に浮かぶものの、美味しかった料理は思いつかない。
それは、母が自分好みの味、材料で料理をし、子供の口、好みを無視していたからに他ならない。
子供の好きなものを作る、などということはなく、自分が食べたいものを作る母泌尿科檢查
自分中心主義。ブレない。
それはそれで、一本、筋が通っている。
が、、、。

ない状態でエネルギーを

わたしのブログは、ひょっとして誤解を受ける書き方をしているかも知れない。
具体的事実も織り交ぜて書いているが、その事実は自分が書きたいこと、言いたいことを軸にチョイスしている。
なので、事実とは言え、一連ではなくスポット的な単発事実が、並べ方によっては誤解を生み、一人歩きしている可能性がないとも言えないhifu 效果
(廻り廻った言い方)


虚偽はないにしても、読む方に誤解させるような書き方、事実の提示の仕方をしているかも。
悪意はないが、故意の思い入れ(意図)はあるかも。
それなら、ハッキリ書けば良いのだが。
所詮、事実の解説など、自己解釈に過ぎない。
自分に都合よく、見える部分だけを見て考察している。
見えない部分や、見ない部分は確実にある。


歴史がそうだから。
ただわたしは「こう思われたい」という故意の作為的気持ちはない去皺紋
自分が思ったままを書いているので、忖度はない。
いいね!をくださる方々にはモチベーションをいただいている。
が、交流を持つと、よく思われたいという忖度が頭をよぎる。
なので、こころの中では感謝し喜んでいるが、具体的に行動して形で示していない。
この機会に、
「ありがとうございます」と一言。


さて、自分流に自分そのものを編集して書いているブログ。
「何もしないわたし」が、最近のテーマになっている。
が、これはやるべきタスク(課題、義務)がある上で、何もしない状態でエネルギーをチャージしている。
本当に全く何もすることがなかったら、廃人の道、まっしぐら。
なので、わたしのブログを言葉のまま、真に受けていただくと、申し訳ないことになりかねない。


ちなみに。
女性学の権威、おひとり様の人生をあと推しする上野千鶴子さんが、じつは結婚していた、既婚だった、、、、
ある日、わたしは、ああそうなんだ、、、やっぱりな、、、
と、へんに納得した。
そうだろうと思った。
おひとり様を貫く決心をして邁進していた女性はハシゴをはずされたわけだ。
ではあるが、「転ばぬ先の杖」的な教え、アドバイスなのだから、悪くはない光子嫩肤
今までにないほどの大型台風が来ます、万全の備えをしてください、命を守る行動をとってください、
と繰り返しTVで緊迫した表情で訴えるアナウンサーに、悲壮な気持ちで臨んでいたら、、、
あら、台風、いつ来たの?


まあ、何も発信せずにアナウンスなしで、いきなりハワイのようなことになるのも怖いし、無事ならそれで良い。


話は戻る。
上野千鶴子さんの夫殿が山男でナイスガイだったとしたら、益々、あーあ、そんなもんだ、と思ってしまう。


選ぶ道、歩く道は自己責任。
考察され納得の指針を示されたとしても、自分でその後、考えなければならない。
頭から丸のみ、盲信してはいけない。
とは言え、人生は賭け。
何が良くて何が悪いのか、後にならないとわからない。