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側は常に気遣われる

なんだか、お気遣いコメントをいただいたようで、有り難く、恐縮である。


落ちこぼれ見守りパトロール隊のような、
「目指せ、いじけっ子ゼロ」キャンペーンに関わるボランティアさんのような???。



このパターン、どこかで経験した覚えがある。


そうそう???
学生時代の友達たち統一派位


なにを隠そう???わたしは、学生時代の友達をすべて失っている。
ゼロからの出発なのだ。


なぜ、失ったか?????
自分でそれは、よーく理由がわかっている。
が、書かない。書く必要もない。
身から出た錆、自業自得、の類であろう孔聖堂中學banding


すべてリセットして、一から出直した。
(ブログは、リセットせず、延々、恥ずかしげもなく同じブログをやっているが)


充分、反省もした。
わたしのものの見方、感じ方、考え方が、間違っていた。思い違いをしていた。
人間が出来ていなかった。
だが、新しく友だちを作ろうという気がない。
気付いたのだ。
わたしは、ひとりのほうが向いているって。
気楽だ。


なぜかというと、わたしには気配りが足りない。
気遣ってくれる人は常に気遣う役で、気遣われる側は常に気遣われる側。
こんなのじゃあ、アンフェアである。
一方的すぎて、気遣う側が疲れる。消耗する。やってられない。



ただし、義母とわたしは、この永遠のアンフェア普遍法則(「give&give」 と「take&take」)に則った中にいる。
摩訶不思議。
気遣うのが義母、気遣われるのが、わたし。
彼女は、疲れないのか? 見返りを求めないこころの持ち主だ。
わたしは、「感謝のこころ」で、お答えするだけだ。
しかし、気持ちはそうでも、時折メールでそう伝えるだけで、「糠(ぬか)に釘」、「のれんに腕押し」の、わたし持續進修基金課程
義母は、もう、限界にとっくに達していて、諦めているのかも知れない。


とかなんとか言っても、我々には、暗黙のルールがあるのだが。
義母は、わたしに保険をかけていて、わたしは、保険をかけられている。
掛け捨てと貯蓄型のミックス版。(実際の生命保険ではない)
「恩」と、「恩返し」、という、保険の方程式。
恩をあだで返すというような、非人間的なことは、絶対にしたくないと、わたしは思っている。
しかし、この恩(情け、とも言える)、お返しもせずに、どんどん積み重なると、
真綿で首を絞められるように、結構ツライものがある。


まあ、現実的には、経済的な流れがルールの基盤となっている。
なので、一方方向ではなく、バランスは取れている。
口だけではだめ、出すものを出さないと円滑に回らない。