dgeghdeeのブログ

dgeghdee blog

なか出来そうで出来る

わたしの知性面の大師匠であり、先生である、とあるFIREブロガーさん。
毎日更新されるブログに啓蒙啓発されているが、前々からなんとなく思っていることがあった。


この方は、ご自分が歩んでこられた道に、何一つ、後悔がない。
というか、年老いて後悔しないよう、悩みや迷いの末に、舵を切り今日に至っている根管治療
曇り一つない。
そして、これまでの歩みは、素晴らしい。
正々堂々、どこに出しても恥ずかしくない立派な輝かしいものだ。
その点には私は脱帽し、尊敬している。


が、おや?と、ふと感じたことがある。
奥さんに関する記述が一行あった時だ。
あれ?
わたしは妻の立場を長年やってきて、夫が思っている妻像、なんだか違う、違和感を覚えた。


このブロガーさんのように努力し、自信を持って人生を邁進する、、、なかなか出来そうで出来ることではない。
なんの異論もない。
全ての事柄に、立証できる文献なり研究なりの証拠を示して力説される照MRI
納得できる。
この「全ての事柄」というところに疑問を感じた。
学問、科学や政治、経済は研究すればするほど幅や奥を知る。
そして、研究の結果、自分の信念を持ち確立する。
まるで意義なし。


人間のこころについては、幸福論を追求するのがこの方の生涯のテーマなので、これで全てが網羅されている。
が、、、わたしの疑問はそこにある。
文献や研究、データに基づく分析、理解。
これは大事。
単なる勘や思い込みがもしあったとしても、それを仮定として、立証できれば良い。
立証プロセスこそが重要である。


それはその通り。
で、疑問はほとんど解決され、さらに幸福を深め邁進するために、日々、充実した時間を能動的に過ごされている健康檢查計劃


が、しかし、、、
そのブロガーさんの奥さんのことは、全て自分が思っている通りだと、信じておられるようにお見受けする。
客観的学問的探求と、実際の「灯台下暗し」的な感覚。
現状において幸せな人に、不安を煽って新興宗教に誘う手口に、こういう切り口がある、、、が、わたしは新興宗教の手先でも幹部でも教祖でもない。
わたしと、ブロガーさんの奥さんは、全くの別人、別人格なので、同じではない。

関係がない状態を実感す

またまたブログ村人気記事ランキングと、アクセス数には、全く関係がない状態を実感する。
なんでだろう?
ランキングに入らない時のほうが、高アクセス数って、どうして腋下去黑
説明していただきたいものである。


自分のブログのアクセス数は、デタラメではないとして、そうすると、ランキング人気記事ランキングが、根拠なく適当ということだ。
もう何十回と同じ経験をすると、自分なりの考察が打ち出される。
あまりランキングには期待していないから、どうってことはないけれど。


さてさて。
話は変わる。
出入りしている趣味SNS。
そこで、昨日の記事に書いた、わたしに寒イボを発生させてくれるお方が、今度は超高齢のお母様の訃報を日記に上げた。
しかも亡くなった当日に。
経緯や心情も。
すると、会員の皆様方が一斉にお悔やみコメントを寄せる激光脫毛
あれには、わたしは不思議で仕方ない。
自分の超プライベートなこと、しかも家族の生き死にを趣味がらみSNS日記にリアルタイムで公開するなどと、わたしには考えられない。
ママ、ママ?と幼児のごとく。
幼児の孫がいるおばあちゃんが、自分のママに涙する。
(しかも、その、おばあちゃんの産みの親である超高齢母親は、わたしの理想とする最期、幕の下ろし方)
しかし、日記を読んだ人々は次から次へと続々とコメント。
今までも、この人は、他の家族や親しい人が亡くなると、よくリアルタイムで日記にする。
これで三度目。
知らない初めての人(面識もなく、これまでやり取りもない人)からも、お悔やみコメントが寄せられていた遺傳性乳癌


わたしは絶対にコメントなどするものかと思っていたが、SNSの狭い会員の世間体にとらわれ、しばらく考えてから、少し間をおいて、わたしらしくもなく、お悔やみコメントを寄せた。
しかも、私情は一切挟まず、お悔み文の例文みたいなものをぺたっと薄っぺらげに貼り付けた。
嫌な奴に成り下がった、と自分で思った。
ほんとうに情けない。

れない事態になったり

とはいっても、あと一つ。
わたしはAさんと趣味仲間ではあるが、その趣味はお互いリタイアしていない時からやっているもの。
始めたのは老後ではない。
老後に一からスタートすると、馴染むのに時間がかかるCEF 課程
最初は、ズブの素人の新人さんなので、皆んなの中では一番経験が浅い。
勇気を出して始めたものの、やめてしまうこともあるだろうけれど、辛抱強く続けていると、どうにか形にはなって行く。
が、趣味選びも、憧れから入っても現実的には不向きだったりする。
ではあるものの、老後始めるものは、全員、スタート年齢がほぼ同じという条件が同じ。
とは言え、わたしは、今更、真新しい未経験のことを始める気はゼロ。
過去に少しでも、ほんの1回でも、経験したことがあり試したものを、もう一度再挑戦する。
苦手なものには、手をつけない。
今までの中で選に残ったもの中から選ぶ會計軟件比較



まあそれはそれとして。
趣味仲間Aさんは、在職中から続けていた趣味は身に付いている。
今より若い現役時代に、仕事をしながら趣味分野で悪戦苦闘。
スランプや健康問題もあり少し趣味を取り巻く事態が変わった。
が、リタイアして、再び現役時代の趣味を再着手したが、自分のレベルの人は周りにはあまり存在せず、満足感を得られない。
さらに毎日サンデーになったリタイア後は、その趣味だけでは時間が余るようだ。
それで、他の趣味にも手を出すようになった。
時間を持て余すから時間潰しで行う新しい趣味は、なかなかモチベーションが高くならない。
上手くなるのも時間がかかる。
あくまでも、サブの趣味。
かといって、メインの趣味も、もうそんなにかつてのような温度にはならない。
余裕で楽しむ。



ちなみに、一つだけの趣味に精魂込めて情熱を注ぐのも良いが、煮詰まったり、スランプに陥ったり、続けられない事態になったりした時に、気分転換出来る、別の趣味があると救われる。
理想としては、正反対のものが良い酒盒包裝設計
静と動。
室内(全天候型)と屋外。
運動と芸術。
一人で行うもの(旅とか、散歩とか、手芸とか)も良い。
自分が主体になって実践する側の趣味と、見る側の応援するオブザーバー、観戦、鑑賞型の趣味。
音楽、絵画、舞踏、ファッション、グルメ、もの書き等、作り手、と、受け手。


長々だらだら延々と書いたが、こういう類のことは、実社会で生産的ではないし、個人の好みは様々なので、皆さん、興味ないと想像する。
が、最近、推し活ブーム。
私生活をイキイキさせ、幸せをもたらす。
といっても「推し」なんてのは、昔からあるものを表現を変えてリメイクしただけに過ぎない。
新しさは感じないが、言葉としては今風。
そう感じるようになったら、わたしもいよいよ歳である。